2018/04/27
江戸時代末期、明治維新、そして近代化のための富国強兵。
実は、この時代まで話し言葉には共通語はなく、
離れた地域の人達は意思の疎通に苦労していたんだそうです。
時には各地に伝わる小唄などを用いてコミュニケーションを図ったんだとか。
皆さん、こんにちは。
トータルバランス美容プランナーの小原 木聖です。
先日、言語学、日本語とはそもそも何かという事について学ぶ機会がありまして、
そこから今のサービス業、
もしくは現代のコミュニケーションの問題にも通ずる事があるなと思いました。
そもそも、今私達が日本語としてとらえているものについてですが、
江戸時代までは漢文風の書き言葉のみが共通だったそうで
(それでも、世界からみたらスゴイ事ですよね)
今の標準語は国の近代化のために整備されたものなので、
歴史としては100年あまりのものだそうです。
言葉は思考を表わすだけではなく、他にその時々の状況にも大きく影響を受けてなりたつもの。
今、私達が「これが日本人の当たり前だ」と思ってしている事の中に、
実は100年位の歴史しかないコトがちょくちょくあるという事でもあります!
例えば、今の私達の歩き方。
右足を出したら左手を前に出す、左足を出したら右手を前に出す。
小学校の体育の時間では行進、整列、前へ習いなどで集団移動を覚えましたよね。
これはいわゆる富国強兵のための「兵式体操」の由来なんだとか。
それまでの私達は、上の画像のナンバ歩き-右手と右足、左手と左足、腰を低く歩く
こちらで歩いていたのです。
なせならば、その方が農民の草刈りやお侍さんの刀切りのために効率良く力が入るから。
こういった改革と共に、言葉の在り方も大きく変化を遂げました。
今、誰しもがイメージ出来るような挨拶と礼儀正しい日本人の姿。
実は、これも富国強兵のための作法教育であったようです。
「朝起きたらおはようと言いなさい。」
「夜寝る前におやすみなさいと言いなさい。」
「通学途中で友人にあったら、先生にするように友達にも挨拶しなさい。」
こういった作法教育がなされたという事は、
つまり、定型文的な挨拶がそれまではなかったという事につながるのです!
私はそれを知ってかなりビックリしました。
では、挨拶はまったくしなかったのか?
いいえ、ここが察する文化の日本人、
むしろ本当の姿はこちらのほうなのかもしれません。
冒頭の画像の本、江戸しぐさの中に素敵なしぐさがたくさんあります。
目つき、表情、ものの言い方、身のこなしなどを、
自分の所属するポジションも加えながらしぐさと気の利いた一言を発し、
それが挨拶の代わりもつとめるなどして、
人々は日々を上手に過ごしていたようなのです。
一番有名と言われるしぐさの「傘かしげ」。
雨や雪の日に狭い道で相手とすれ違う時には
お互いに傘を人のいない方へかしげ、
相手に雨や雪の滴がかからないような気遣いのしぐさをし、
ちょっと会釈を交わす。
他にも、「肩引き」と言って、
右肩を後ろへ引き、胸と胸をあわせたかたちですれ違う。
相手が偉い人であっても、
この2つのしぐさできちんと挨拶をした事になったのだとか。
現在、スーパーやコンビニなどへ買い物に行って、
いかにも定型文のような挨拶をされる事も多いですよね。
しかし、中には心のこもった挨拶をしている方がいて、
私たちはそれをきちんと感じ取ることができます。
定型文の挨拶が悪いわけではなく、そこに何が込められているのか。
または目に見えないからわからないだろうとばかりに、
表面だけをキレイな言葉で取り繕っても、
何も響くものがない事に気が付いている人もたくさんいるのでは?
実は、私、20代の時に日本語教師のボランティアをしていまして、
言葉が表す世界観の面白さを知ってから、
こういった言語にまつわる人の心理や歴史背景を知る事にワクワクするのです。
人間って面白いな、といろいろな意味で思う事も多いです(^^)
そうそう、最後にこんな話をひとつ。
関西弁や地方のいろいろな方言、
プライドがあって標準語を使いたがらない人種もいるという声も聞こえてきますが、(笑)
標準語には置き換えられないいろいろなニュアンスが含まれていて、
上手く伝えるためにこだわって地方方言を使いたいと思う方も多いそうですよ。
言葉には、
やっぱり地域性や人間性、いろいろな事が現れてきて面白いものですね(^^)
私が日々思う事。
言葉というものは凶器にも魔法の道具にもなる得るもの。
凶器にしない事は当然の事として、
そのうえでただの定型文ではないものとして
大切に扱いたいと心がけています(^^)