2018/01/13
今年は「北海道」と命名されて150年を迎える年なんだそうです。
私のご先祖様達はどんな思いでこの地に足を踏み入れたんでしょうね。
うちの場合は、新潟方面、福井県、そして東京の地からやってきたとの事なのですが、
その中で東京の記録だけはしっかり残っております(^-^)/
皆様、新年明けましておめでとうございます。
2017年もよろしくお願い致します(^-^)/
小原 木聖です。
さて、この年末年始は大正10年生まれの95歳の祖父と
おかげさまで楽しい時間を過ごしています。
うちの祖父の家系は東京からこの地にやってきており、
しっかり記録が残っています。
末っ子のほうの祖父は北海道で生まれていますが、
上の兄妹達はひょんな事から当時身重の祖父の母と共に
この地にやってきたそうです( ̄^ ̄)ゞ
当時「穏田(おんでん)」と呼ばれていた地は
現在の渋谷神宮前あたりを指していたそうで、
典型的な宵越しの金は残さないタイプで家具職人だった祖父の父は
軽い気持ちで北海道の開拓話にのってすぐ帰るつもりで来たらしいです(笑)
しかし、いつまでたっても帰ってこないので、
祖父の母は幼い子どもたちを連れて北海道へ来てしまったそう!
(もちろん大反対だったでしょうが)
初めて北海道へ来た日は
海は穏やかで広大な土地が広がり、
同様に楽天的だった祖父の母は
「良い所に来た~!」と思ったんだそうです(笑)
その後、寒さと馴れない作物作りに四苦八苦したそうですが((((;´・ω・`)))
昔は、朝起きると自分の寝ているお布団の上に雪が積もっていたと言います。
すき間風と共に雪が入り込み、
自分の吐いた息で白くなっていたとも言います。
そんな話を聞く度に、
「どうやって移住者の人々は生き抜いてきたんだろう!」と考えてしまいますが、
同時に、
今もっと恵まれた状態で暮らせている私は
もっと頑張らなくちゃな~と強く思います(*^_^*)
(その後、うちの場合は北海道から元の地に戻っていった親戚も多いのですが。。。)
なんにせよ、
ちゃんとご先祖様の生の話を聞いておける事はとても嬉しく思います。
立派で有名な人だけではなく、
一般の私のご先祖様達も、みんな変わらず一歩一歩激動の時代を生き抜いてきたのは
事実なんだと思うからです。
ちょっと辛い時があっても、
私にもそういう血が流れているから乗り越えられると思う事が出来ます( ^ω^ )
さて、話はちょっと変わってこの「穏田」という土地、
葛飾北斎 の「穏田の水車」という作品もありますが、
江戸時代に徳川家が忍者の子孫を連れてきたとかどうとか、いろいろな説があるようですねo(^▽^)o
「もしや先祖は忍者か!」と一瞬喜んだ私と息子ですが
(親子共に幼少期に忍者に憧れた経緯があり。笑)
残念ながら、
それ以前のご先祖様は埼玉方面の出身のようです。
文政3年(1820年)生まれのおばあさんの記録とその父親の名前までが残っています。
このおばあさんは3人姉妹の末っ子で婿養子をとって、
家督相続をしたそうですが、
女性ながら名前が「当羅(とら)」と言います。
子ども達も他の姉妹も平仮名の名前が多い中で
ずいぶん強烈な名前だなあと思いますが、
自分も似たような不思議な名前なので
個人的に大変興味があります(*゚Q゚*)
こんなお話しをゆっくり書かせて頂くのもお正月ならではでしょうか?
それとも、あるご縁で「ハスカップ」という道産の高栄養価ベリー系果実を
オリジナルエキス化する事になったからでしょうか?
ハスカップというのはアイヌ語が語源で、
そのネーミングの響きの良さにカナダなどでも現地の名前(ハニーサックル)を使わずに
「Hascap」でブレイクし始めているそうです!
2017年、
いろいろお仕事の幅が広がりそうな気がしますが、
その為にも自分の身の回りをしっかり断捨離して
シンプルに過ごそうと思っております。
本年度もどうぞよろしくお願い致しますヾ(o´∀`o)ノ