2018/01/07
まだ、私がおむつをしていたような頃、
叔父の仕事に絡む副産物として、
豊かな自然と動物(特に野鳥)のいる場所をたくさん訪れる事が出来ました。
確実に、
今の自分の原点を形成しているんだろうな~と
最近つくづく思っています。
皆さん、こんばんは。
小原木聖です。
先日、久しぶりに近所の円山公園をお散歩していて、
つくづく『木』のある所はほっとするなぁと思いました。
自分の名前の中に『木』という文字があるからでしょうか?!
でも、それだけではないようだと最近気がついた事があります。
それは、
冒頭に書いた幼少期の記憶。
叔父が観察や調査をしていた時に
たくさんの生き物も見れたし、
一人で泥にまみれて遊んでいたし、
木に登ったりと好き放題。
あまりにも好き放題に遊んでいたため、
叱るのを通り越し、
ついには面白がられて
男の子のベビー服を着せられている写真もあります\(//∇//)\
上がお姉さん達ばっかりの中での末っ子である叔父は、
私を妹のように大層可愛がってくれ、
(おむつの世話もだいぶしてもらったらしい)
相当ワガママもきいてくれていたのではないかと思います。
その結果、
私はだいぶ個性的な子に育ってしまったんだろうなと
つくづく想像できるこの頃で(。-_-。)
しかも、動物好きもこういうところから来てるんだろうなと思います。
今でも、動物を見ると
すぐに寄っていってしまうのですが、
この時ばかりは
したたかなアメリカンドンキーに
あやうく麦わら帽子を食べられそうになったりもしてΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
この話は別コーナーで。。。こちらから
そんなわけで、
幼少期以降、その後の集団生活では、
なじむのに相当苦労した面もありました・・・((´・ω・`;))
けっこう人見知りでしたし。。。
それでいて、
転勤族で転校も多かったので、
相当人生修行になったと思います。
結果、
今思うと、
当初に親たちが望んでいた道とはまったく違う流れのコースを辿り、
相当心配をかけてしまったことも否めません((´・ω・`;))
ですが、
ある程度の年齢から
人生に迷った時には
自然の流れから「真髄」は何かを自分で推測する思考回路を持ちました。
まさに、今、仕事で東洋医学の原理、易学にも関わっている事に
自分の人生の意味を感じています。
そういった意味では、
この「野生の血」が私の人生の目的を達成させるための
エネルギー源になってくれているのだと思います。
小心者なのに、
冒険心が上回ってしまうという・・・(笑)
自然界は弱肉強食の世界ですが、
食物連鎖の方程式のように、必ず何かの役にたっている事しかありえません。
ある意味、まったく無駄のないパーフェクトな合理性です。
叔父の仕事は、
その仕事の結果として自然に影響を与えざるを得ない業務内容でもあります。
20年、30年前から
ずっとその両面を見続けてきたんだろうと思います。
ずっと、そんな話をちょこちょこと聞かされてきましたが
若い頃の私にはわかりませんでした。
しかし、
それはずっと私の中にインプットされ続けてきて、
今があるのだなとつくづく感じるこの頃です。
これからも、
この「野生の血?」を活かして、
地球と共存させてもらいながら
人が幸せになれるような
新しい美容の在り方を創りあげていきたいです。
もっともっと精進出来るように頑張りたいと思います(^-^)/